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ターニングポイント
ターニングポイント

2016年1月掲載

未知の世界への憧れと、そこに飛び込む勇気

 六川シェフは、十代のころから未知のものに対する憧れが強かった。手を伸ばせば届くようなものではなく、自分の実力では到底行き着くことはできないのではないか。そう思う世界へ一歩でも踏み込んでいくことにいつも胸をときめかせてきた。

 フレンチをめざそうとしたときも、そうだった。

「長野の農家の息子ですから、食卓にはいつも変わらぬ野菜ばかり。子供ごころに、こんなのじゃなく、メロンが食べたい(笑)と思っていました。テレビを点けると、フレンチの重鎮が特集されていて、日本人なのにフランスの料理をつくっている。白い帽子を被って格好いい。見たことも、食べたこともない異次元の世界に、惹かれました。気がつけば専門学校で学び、フランス行きの飛行機に乗っていました」

 シェフとしてレストランを任されたのが22才のとき。先輩からの依頼に、ひるむことなく「やります」と即答した。

 だって、シェフをめざしてやってきたんだから。悩むようなことじゃなかった。ただ、いざ引き受けると大変なことばかり。スタッフは年上ばかり。売り上げを上げなきゃオーナーから文句を言われる。メニューづくりも試行錯誤の連続。振り返って一番苦労した時代がこの数年間でしたね。ただ、その分、引き出しが増えたのも確か。前菜でも、スープでも、そのバリエーションが一気に身につき、星の数ほどの引き出しが私の中に出来ました。今では大きな財産になっています」

 インターネットとの出会いも、六川シェフにとって衝撃的なものだった。

 今でこそスマートフォンがあり、さまざまなソーシャルネットワークのアプリが当たり前のように存在するが、インターネットの黎明期にどっぷりと浸った六川シェフは、やはりこの未知なる世界に強く惹かれた。

「仕組みがまったく分からないのに、これはすごい時代がきたと直感したんです。仕事を終わって真夜中、パソコンを立ち上げても、何が分からないかも分からない状態です(笑)。なんとかホームページを立ち上げて、リンクも積極的に貼っていくと、急に予約や問い合わせが入るようになったんです」

 誰かから何かを教わるわけでもなく、遠くにあった未知の世界に飛び込み、試行錯誤の中から、自分の血液や筋肉となるように吸収してきた──。それが六川シェフの半生だ。

「しょうゆ きゃふぇ」誕生の裏にある想い

 これまでの人生で、いちばん大きなターニングポイントは? この問いにきっぱりと「今」と答えてくれた六川シェフ。

 オープンしてすぐにメディアでも取り上げられ、人気店となった「しょうゆ きゃふぇ」。「エリゼ光」からもほど近く、元町公園内、瀟洒な建築物エリスマン邸の中で2014年にオープンしたカフェだ。いったい、六川シェフにとってこの新業態がどのようなターニングポイントになっているのだろうか。

「カフェなんて、はじめはまったく興味がなかったんです。フレンチのシェフとして、まだ地産地消という言葉が流行する前から生産者に会いに出かけ、素材を分けていただくことに専念。最高の素材ばかりを集め、オリジナルのフレンチを表現してきました。そうした中で、いまさら何でカフェ?そんな気分だったんです。でもね。やってみると楽しい(笑)」

 「しょうゆ きゃふぇ」──。なんともユーモラスで可愛らしい店名だが、実はここに六川シェフの想いが隠されている。

「フレンチのシェフって、自分の中でルールみたいなものを持っているんですよ。例えば、ソースづくりに醤油はぜったいに使わない、とかね。お客さまがポケットから醤油を出して料理に垂らそうとしたら、それだけはやめてください(笑)とかね。ところが、カフェというスタイルにはルールとか、縛りとか、制約とか、そういうものが一切ないんですね。何をどうつくろうが、すべては自由。で、誕生したのがしょうゆパン。あるいは大ヒットした生プリンです」

 新商品のいずれも生産者との絆を活かしているという点では、これまでの六川シェフの表現スタイルそのものだ。違いは、料理に取り組むときの自由度の差だという。

「開放感のなかで料理を発想できるのがいいですね。料理人として一皮むけた気分なんです。なんだか肩の荷が下りたような。根深く積もった雪が、すーっと溶け出すみたいに、気がラクになったんです」。

飲食業の世界に大きな「時代の変化」を感じる

 六川シェフが「今」を、人生のターニングポイントだと考えるのは、料理人というプレイヤーのあり方に大きな変化が現れてきたからという、個人的な理由だけではない。

 飲食業の世界に大きな「時代の変化」を感じるからだ。

「私たちの時代は、飲食業にロマンや夢や人情や義理など、もろもろの想いが交錯していて、その中でひたむきに仕事をしてきました。でも、今の若い世代にはそういうものは、もうないんじゃないか、と感じるんです。そういう時代を生き抜くために、経営者としてどうすればいいのか。そこを最近よく考えるんです。『エリゼ光』と『しょうゆ きゃふぇ』の2店舗がありますが、レストランの『エリゼ光』のランチをやめてみようというのがひとつの結論です。ランチの時間帯を、カフェというスタイルでやります。ただ、うちにはフレンチをきちんと学びたいと思って入社してきた若手もいるので、彼らのためにディナーはやります。それもこれまで以上に、手間と時間とコストをかけてね。私たちが本当にやりたいフレンチのコースを一日1コースのみ、10組限定でやろうと思っているんです。カフェという時代に合わせた表現スタイルと、自分たちがやりたいフレンチの1コースを精一杯表現する。この2本立てです。わがままでしょう?(笑)」

 生プリンの試作品が完成し、知り合いのグルメたちを集め、試食会をしたとき、全員がこんなプリンはヒットしないと豪語したそうだ。でも、六川シェフはプレイヤーとしての自分の感性を信じ、この商品をメニューに載せ、名物メニューへと大ヒットさせた。

「自分を信じつづけるしかないんです。そして、わがままに生きる。今はそういう時代だと思います。わがまま。それが今の私のキーワードかな」

─ 略 歴 ─

1990
渡仏。三つ星レストランで働くことができた
フレンチのシェフにあこがれ、いざフランスへ。しかし就労ビザではなかったため、どの店からも断られる。唯一、来てもいいよと言ってくれたのが三つ星レストラン「コートドール」。最高の環境で多くのことを学ぶことができた。
1992
帰国後、22才でいきなりシェフを任される
シェフをやってくれないかと、先輩から頼まれ、ハイハイとふたつ返事。シェフを任されたものの、経験不足で苦労の毎日、試行錯誤の連続だった。でも、このときの経験は自分の中に多くの引き出しができ、今に役立てている。
2000
独立。自己資金をすべてかけて、勝負
溜め込んだ自己資金をすべて使って独立した。失敗したら無一文になるけど、覚悟を決めた。当時は「地産地消」という言葉を聞かない時代だったが、生産者たちに会いに行き、最高の素材を集めオリジナルのフレンチを生み出した。
2001
インターネットと出会い、集客につなげる
当時はソーシャルネットワークもブログもない時代。深夜にパソコンを立ち上げ、独学でインターネットを学び、HPを立ち上げ、集客ツールとして活用。デジカメも購入し、料理の写真撮影も学ぶ。いきなり予約や問い合わせが殺到。
2003
眺望のすばらしい物件へ移転
外人墓地真ん前、眺望のすばらしい物件を発見するが、断られる。何度も通ううち、建物のオーナーが偶然にも同じ長野県出身だと判明。「同郷の君なら、貸してあげるよ」と契約へ。人との出会いでリニューアルオープンを果たす。
2014Turning Point
「しょうゆ きゃふぇ」で、新しい自分を発見
まったく興味のなかったカフェ業態。でもやってみると、料理づくりに制約やルールがなく、開放的な気分で料理に取り組むことができた。「生プリン」や「しょうゆパン」などの大ヒット商品も誕生。新しいスタイルを確立できた。

─ 店舗情報 ─

タ―ニングポイント
エリゼ光(取材店舗)
□エリゼ光
住所 横浜市中区山手町246 カーネルスコーナー2F
電話 045-621-4890
時間 【Cafe】10:00~17:00(L.O.16:30)
【Dinner】17:30~22:30(L.O.20:30)※要予約
【Dinner】17:30~22:30(L.O.20:30)※要予約
休日 水曜日
□しょうゆ きゃふぇ
住所 横浜市中区元町1-77-4
電話 045-211-1101
時間 10:00~17:00
休日 第2水曜日
  • 文 高木 正人
  • 写真 ボクダ 茂
   
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